
Halloween の日になりました。沢山の子供たちが楽しい仮装をして、Trick or Treat! と言いながらやって来ます。米国だからと言って何処の地域でも Halloween が行われている訳ではありませんが、私の住む米国ニューイングランド地方は比較的穏やかに Halloween が行われています。
最近では日本でも Halloween が行われているようですが、本来の日本の歴史・文化にはなかった行事ですから、広い意味でのクリスマスやバレンタイン・デーのような商業的側面が強いのでしょう。何時頃から日本でも Halloween という名前や行事が一般化したのでしょうか? 私が小さい時には経験していませんし、成人になってからも殆ど記憶にありませんね。私が日本の田舎育ちで知らないだけかも知れませんが。
Halloween は曜日に関係なく毎年10月31日に行われます。私が米国に来たのは11月の初旬でしたので、その年の Halloween は既に終わっていました。従って私が米国で初めて経験した Halloween は滞在して丸 1年を迎えた時でした。予備知識も何もないので「どうすれば良いのか?」と当時の仕事仲間(米国人達)に聞き、お菓子を大量に買い込んで簡単に配れるようにまとめ、子供たちがやって来るのを待ちました。

実際に何人位の子供たちが来るのだろう? 一人ひとりにどれ位のお菓子を配れば良いのだろう? お菓子が無くなったらどうするのだろう? といろいろと疑問はありましたが、まあ「大は小を兼ねる」ということで最初は「えらい大量」にお菓子を準備した事を覚えています。それは私が Halloween について尋ねた相手が「我が家には昨年約300人位の子供たちがやって来た・・」と言ったからです。
「300人!!?」「これはえらい事になるなあ!」と期待と不安で待っていましたら、子供たちが次々とドアのベルを鳴らしてやって来ました。扉を開けると「Trick or Treat!」と言いながら子供たちがお菓子を入れる袋を持って立っています。Happy Halloween! と言いながらお菓子をあげると嬉しそうに Thank you! と言って次の家に向かって行きます。結局、我が家にやって来た子供達は大体 50 - 60人位でした。そして、残った大量のお菓子はそれから 1年かけて食べることになりました。
子供達だけで各家を回るのは危険ですから、親が後ろに付いて一緒に移動して行きます。家の前に来ると子供達だけがドアをノックしてお菓子をもらって来るような方法で皆それぞれに楽しんで行きます。同じ場所に住んでいると毎年やって来る子供達が成長して大きくなる姿が確認出来たりしますので、それを見るのも楽しみですね。Halloween は、カトリックの諸聖人の日(万聖節)の前晩(10月31日)に行われる伝統行事で、元々はケルト人の収穫感謝祭がキリスト教の中に取り入れられたものと言われています。だからと言って全てのキリスト教の世界で行われている訳ではありません。

図に示されるように、ケルト人がかつて居住していた地域との関係から、現在で言うところのアングロ・サクソン諸国の間で主に残っている習慣と言えそうです。
しかし、歴史的には多くの民族や文化と交わり、ローマ帝国の影響など幾多の遍歴があるのがヨーロッパの世界ですから、簡単にその範囲を定義できる物ではありませんね。民族とそこに育つ宗教感にはそれなりに密接な関係があると考えられますが、異民族による支配で文化や慣習が変えられ、また異教徒による支配によってその宗教感も変化させられてきた歴史は複雑です。
ケルトの香りを現代に求めると、残存するケルト語派の言語が話される国、アイルランド、スコットランド、マン島、ウェールズ、ブルターニュ、などとなるようです。日本でケルトを感じられる物はと言うと、それはやはり「エンヤ」が生み出したミュージックが一番ではないかと思います。エンヤの曲を初めて聞いた時、アイルランドに居ながらもビートルズの影響をまったく受けていないあのスタイルは衝撃そのものでした。
ケルト人の 1年は、11月1日から 10月31日まででした。新年が 11月1日から始まるということは、10月31日は大晦日に当たります。この最後の夜には死んだ人の魂が家族の元に帰ってきたり、悪い精霊や神が現れるということが信じられていました。そこで死者の霊や悪霊が家に入らないように、また身を守る為に仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていたということです。
現在では、本来の宗教的な意味合いはほとんど失われています。欧米、特にアメリカでは毎年の民間行事として定着し、カボチャの中身をくり抜いて中にろうそくを立てた「ジャック・オー・ランタン」を作ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して、近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習となっています。各家庭では、カボチャのお菓子を作ったり、子供たちがもらったお菓子を持ち寄って、ハロウィン・パーティーを開いたりします。

「ジャック・オー・ランタン」とは、アイルランド及びスコットランドに伝わる鬼火のようなもので、「ランタン持ちの男」と言う意味があります。
生前に堕落した人生を送ったまま死んだ者の魂が、死後の世界への立ち入りを拒否され、萎びて転がっていたカブをくりぬき、悪魔からもらった石炭を火種にしたランタンを片手に持って彷徨っている姿とか、悪賢い遊び人が悪魔を騙し、死んでも地獄に落ちないという契約を取り付けたが、死後、生前の行いの悪さから天国へいくことを拒否され、悪魔との契約により地獄に行くこともできず、カブに憑依し安住の地を求めてこの世を彷徨い続けている姿だとか・・言われています。
この話がアメリカに伝わった後、「カブ」のランタンは移民したアイルランド人によってアメリカで「カボチャ」のランタンに変化したようです。もともとアイルランドには「カボチャ」がなかったので、簡単に手に入る「カブ」を使っていました。写真は、アイルランド西部のアイルランド国立博物館・カントリー館で見ることのできる、当時の「カブ(ターニップ)」で作られたジャック・オ・ランタンです。
ここニューイングランド地方はその名の通りヨーロッパからの移民が上陸したところです。現在は当たり前になっている「カボチャ」のランタンもアイルランドからの移民による文化の継承とその変化だと言えます。
17世紀にどこでも容易に収穫できるジャガイモの生産によって人口の増大を見たアイルランド人ですが、1845年から1849年の 4年間に渡ってヨーロッパ全域でジャガイモの疫病が大発生し、ジャガイモが壊滅的な被害を受けるという「ジャガイモ飢饉(Potato Famine)」が起こります。
この飢饉の間にどのくらいの死者が出たかは正確には分かっていませんが、現在の計算では、もし飢饉が発生しなければ 1851年にはアイルランドの人口は 800-900万人になっていたはずだと考えられています。1841年に行われた調査では人口 800万人を少し超えていたというデータがあります。しかし、飢饉の発生した直後 1851年に行われた調査で、アイルランドの人口は 6,552,385人であったことが分かっています。結果として 10年でほぼ 150万人が亡くなったと考えられます。
そして、100万人以上のアイルランド人がイギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどに移民し、その後10年でさらに100万人が移住ししています。
アイルランドは 19世紀の人口に比べて 20世紀の人口が減少している唯一の西欧の国だということです。近年は経済成長などもあり最近では増加傾向にあるようですが、2007年の統計でアイルランド共和国と北アイルランドを合わせた全島の人口は未だに約 600万人であり現在に至っても大飢饉以前の 800-900万人という数字には及んでいないという数字が出ています。この凄惨な事態には農作物の被害という自然界の現象に加えて、もう少し考えさせられる内容が含まれています。
当時のアイルランドの宗主国はイギリスでした。一般的にヨーロッパではこうした飢饉が発生すると地元の貴族や地主が救済活動を行うのですが、アイルランドの貴族や地主は殆どがイギリスに在住しており、自らの地代収入を心配してアイルランドの食料輸出禁止に反対し、人々が餓死しているにも関わらず食料がアイルランドから輸出されるという状態が続いたということです。
宗主国のイギリス政府も予算の関係から直接の救済措置をためらい、さらに政府からの直接の救済措置を受けられるのは土地を持たない者に制限したため、小作農が救済措置を受けるために僅かな農地と家を二束三文で売り払うという結果となり、これが食糧生産基盤に決定的な打撃を与え、飢餓を長引かせることになったと言われています。
最終的には人口の最低 2割が餓死および病死。さらに 10%-20%が国外脱出。またこれにより婚姻や出産が激減し、最終的には国の総人口が最盛期の半分に激減するという結果となっています。
アイルランドの飢饉に関する権威の Cecil Woodham-Smith の著書 The Great Hunger; Ireland 1845-1849 によれば、
「飢餓でアイルランドの人々が死んでいっている時に、大量の食物がアイルランドからイングランドに輸出されていたという疑いようの無いこの事実ほど、激しい怒りをかき立て、この二つの国 (イングランドとアイルランド) の間に憎悪の関係を生んだものはない。」と書かれています。
飢饉の際のイングランドの無策(もしくは意図的なものがあったのか)は、アイルランドのイングランドへの不信感を増幅させ、宗教政策とも合いまって独立運動のきっかけ(後押し)となったと考えられます。

アメリカ合衆国に渡ったアイルランド人移民の現地での生活は大変厳しいものだったようです。しかし現在ではその苦難を乗り越え、アメリカ人口の約4,000万人がアイルランド系の人々だと言われています。アイルランド人移民はアメリカ社会で大きなグループを形成し、経済界や特に政治の世界で大きな影響力を持つようになっていきました。この頃アメリカへ移民した中にケネディ家の祖先も含まれていたということです。

そして、アメリカに渡ったアイルランド人は、祖国アイルランドに思いを馳せながら、親しんできた Halloween を大切に祝います。そこにはアメリカの「カボチャ」が沢山あり「カブ」より柔らかい「カボチャ」をくり抜き、中身は料理にも使うというアメリカ版「カボチャ」の「ジャック・オ・ランタン」が出来あがったということです。
楽しくお祝いする Halloween ですが「カボチャ」のランタンを見ながら、祖国の悲劇とそれを乗り越えるために国を渡ったアイルランド人の苦難の歴史を感じない訳にはいきませんね。
こうした悲劇も国の政策や仕組みが深く関係することは多くの歴史が証明していますが、アイルランドもそうした国自体の構造的問題が沢山あったようです。「ジャガイモ飢饉(Potato Famine)」は悲劇ではありましたが、これが大きな契機となって、アイルランド人の米国への移民、アイルランドの政治的自由を獲得するためのフィニアン運動、そして 100年以上の独立運動を経て 1998年に「人権の尊重、安全対策、雇用機会均等、2年以内にすべての準軍事組織が武器を廃止すること、警察や刑法制度の見直し」など 11項目に及ぶ包括的な和平合意(ベルファスト合意/グッドフライデー合意)にまで繋がって行くことになりました。
沢山の尊い命の犠牲の上に築かれてきた和平が未来永劫に続くようにと「カボチャ」の「ジャック・オ・ランタン」は毎年灯をともされて彷徨い歩くのだと思えば Halloween もまた違った物に見えてきます。

さて、Halloween では恐ろしい仮装をするのが定番となっていますが、これは家の廻りを徘徊し人間に取り憑こうとする悪霊達をその恐ろしい姿で追い払うために仮装をしているということです。時代と共に習慣は少しずつ変化して行くようで、子供達が人を脅かしてお菓子をもらうようになったのは割と最近(40 - 50年位前から)のことだと言われています。早い話、悪魔を追い払っている内に、追い払うよりも悪魔になった方が儲かる(お菓子が貰える)と気が付いたのでしょうかね・・・。日本で言うなら「花より団子・・ちょっと意味が違うか・・」
Happy Halloween!!
0 コメント:
コメントを投稿