2010年8月2日月曜日

社内公用語を英語にする? それ本気?

今年の5月か6月頃からネット上でも「楽天の社内公用語を英語にする」という話題が上がっていました。7月に入ると、「楽天、社内の公用語を英語で統一」「会議も日本語使わず英語のみ…三木谷社長は、日本企業をやめ世界企業になると発表」というニュースが流れました。あれから1か月程経過していますが、この件について少し感想を述べてみたいと思います。

日本人の英語アレルギーというか、他言語に対するコンプレックスというか、企業が世界市場に打って出ようという時に言語(この場合は英語)の部分だけがこれ程までに注目されるのも面白い現象ですね。そういった意味では楽天の三木谷社長の広報そのものは良くも悪くも「首尾良く拡散された」と言えるでしょう。

日本企業はもちろん、家電、重電、自動車等の製造業、証券、銀行等の金融業、製薬、バイオなどの研究産業、そしてその昔 SooGo Shosha(総合商社)とその日本語読みのままでも意味が通じた General Trading Company など、もう沢山の企業が既に海外進出を果たしています。日産などは既に多国籍企業であり、SONY が日本の企業であることを知らないアメリカ人の方が多いという実態からみて、今更、英語が話題の中心になることが驚きです。

今更何を言ってるのだろう・・・という感覚でしたが、私が興味を持ったのは三木谷社長が発した以下のフレーズです。

「日本企業をやめ世界企業になる」

そもそも社内公用語を英語にすれば世界企業になれるなどと単純に思ってはいないでしょうが、その真意は何処にあるのでしょうかね。既に世界企業である Google が世界企業になるためにアメリカ企業を辞めるとは言いません。IBM も HP も、そしてこれから直接戦う相手になるであろう Amazon も、フランスの Thomson も Dassault も、ドイツの Siemens も自国企業であることを辞めるなどどは言いませんね。

それは「言葉の綾」だとも言えますが、ここで注目したいことは「英語」を使えるというアドバンテージと「日本語」を使えるというアドバンテージをどう捉えるかということです。日本語圏ではない所に住む者から見ると、「日本語」を使えるというアドバンテージを捨てることは稀に見る愚策だろうと思います。もちろん日本語を完全に辞める訳ではないし、日本文化を捨てる訳でもないし、公用語として英語を使うようにしただけだということでしょうが、重要な会議などから日本語を締め出すことには大きな危惧を覚えます。

確かに英語を使えば日本語よりも端的な表現になり、結論を早く導き、会議や議題の決定作業の効率化につながるという意見もあります。

またより論理的な思考になるということも言われます。しかしそれは表面的な見方であって、日本語の持つ潜在パワーについては何も考慮されていません。

もちろん、国際企業として各国企業とのやり取り、買い付け、交渉、契約内容の分析、仲間作り、などなどに英語を利用することは言語利用率からみた効果の最大公約数(単純な言語人口比率ではない)として正解ですから、それに異存はありません。

しかし、日本企業として日本語を使えるアドバンテージを軽視することは誤りだろうと思います。

日本人・日本民族の持つ特徴の一つに、世界の殆ど全てが性悪説で出来ているような環境の中でも、唯一(と言っても良いぐらい)性善説を生まれながらに持っていると思われる性質があります。

それに合わせて「日本語」を使えることによって生まれる「概念の広がりを自然に受け入れることのできる思考体系」があると考えています。


日本語による概念の広がりを自然に受け入れることのできる思考体系・・・等という学説がある訳ではありませんが、これは私が日本語圏以外で生活している間に少しずつ理解し、納得してきた所見です。ネット上でも何処かのサイトで同じような内容が説明されていたという記憶がありますが、どのサイトであったかは定かではありません。

私は言語学者ではないので専門的な事には触れませんが、漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字、古典文字まで含めて何千年という歴史を同時に扱えているのが日本人であり日本語です。外来語をカタカナ表記にしたのはそれ程昔ではないでしょうが、現代では外来語の音をカタカナ表記にして「日本語」として取り込んでいます。

江戸時代にはポルトガル語やオランダ語を同じ意味を表す日本語に置き換えると共に、その概念までも日本語(漢字)の中に含めてきました。もっと遡れば唐や隋から漢文を輸入し、日本語の中に取り込んで来たことは歴史に記されている通りです。

日本語を使うということは、日本文化(歴史)をその背景に据えた状態で、「未知の概念:それまでの日本語に無かった物」を日本語の言葉に入れて仲間とし、それらを混ぜ合わせて広がった新しい概念の中で物事を考えていけるということです。

最初は少し違和感があるかも知れませんが、そうした外来語や外来の概念を日本語として使っていると、自然に日本文化と融合し其れまでになかったオリジナルな内容を超える何かを生み出すことになります。日本語の世界に入れば西欧の技術や考え方も更に応用され、洗練された物として再定義、再生産されていきます。


明治維新を経験した日本人は、欧米の技術や制度を学び、追い付き追い越せと切磋琢磨して国力の増強に努めました。

確かに最初は物真似から始まりましたが、その努力の成果は新しい技術を生み、何から何まで西欧と並び、最後はオリジナルを超えてしまうところまで発展しました。

東洋の有色人種の能力をまったく評価していなかった当時の列強と言われる国々は、日本の発展に度肝を抜かれたことでしょう。

結果として日本は敗戦という現実を受け入れなければならなくなりました。「こんな民族を生かしておいたら最後は我々が搾取される側になってしまう」当時の(いや現在でも同じですが)西欧白人社会はそう感じたはずです。

もちろん、日本人が何の理由もなくそのような他民族を搾取する行動に出ることはあり得ない、つまり日本人自身がそのような事を自ら想像する事もないのですが、植民地政策を是として国力を付けてきた民族(西欧民族)としては、自分達がそうするのだから相手もそうするはずだと思うのが当然です。

ですからそうなる前に日本を駆逐しておかなければと考えるでしょう。結果として色々な戦略・謀略の中で嵌められ戦争への道へと導かれ、日本は責任を取らされる事となりました。

話の展開が本題の流れとは違った方向に進んでしまいましたが、日本ではこうした近代史を学ばないままに社会人になるという教育が続いています。真実の歴史・事実を知らないままに育った者が圧倒的多数を占めるようになった現在では、国旗、国歌、つまり自国の国家というものを否定した市民活動家が総理大臣になるという信じられない事も起こっています。

日米安保という柵で「核の傘に守られながらも自力で国を守れない」という変な構造の中に置かれているのも、その根っこは同じものがあるでしょう。アメリカは戦後の日本経済に多大な貢献を与えてくれましたが、日本の力が大きくなり過ぎると、プラザ合意や関税障壁などあらゆる手を使ってその拡大を阻止してきます。

トヨタのリコール問題(最近のニュースではその殆どが運転者のミスであることが証明され始めています)

小泉政権下での郵政民営化(アメリカ金融支配者による郵政の金の乗っ取り)

三角合併(欧米資本による日本企業の合法的な乗っ取り)、派遣法(低賃金労働者を生みだして日本社会を階級化させ、資本家の論理で全てを掌握する欧米化の徹底)


少し前では、ココム規制を利用した日本企業のコントロール、
日立、東芝、NEC、富士通などの日の丸コンピュータ連合の駆逐
IBM を勝利に導くための囮捜査
半導体の自主規制・・・数えれば切りがない程日本の進出は強引な力技で阻まれています。

郵政民営化は世界の債権市場を CDS などを使ってカジノのギャンブル場に変えたアメリカ金融機関が、ギャンブルに凝り過ぎて自滅した結果取り戻せない「スッてしまった金」を日本の郵便貯金を奪って埋め合わせするのが目的ですし、三角合併などは、叩いても叩いても達磨のように起き上がって来る日本企業を抑え込むためには買収(合併)して取り込むしかないという欧米の政策です。

従来から欧米では「株式交換方式」での会社吸収ということが頻繁に行われています。自社内で技術を開発するよりも会社ごと買い取って自分のものにする方が早い。確かにその通りですね。まあ、如何にも狩猟民族が考えそうな略奪方式ですが、時間が勝負を決める現代の企業競争では勝つために必要な方策だとも言えます。

もしその技術が有効であり、競争相手にその技術が渡って最終的にこちらが不利になると思えば、躊躇なく買収を実施するのも欧米企業の特徴です。たとえ取り込んだ技術が花を咲かせる事が無くても、競争相手に取られて与えられるダメージとの比較でどちらが大きいかがその判断基準になります。

米国のベンチャー企業はこの動きに呼応して、積極的に技術開発し、買収してもらおうと働きかけます。ベンチャーキャピタルは IPO による投資の回収と、更に大手による企業買収から受け取る株式を運用することで収益を上げる事を考えています。もっともそれが彼らの仕事です。

余談ですが、この方策には別の目的があることもあります。相手企業に資産価値(技術ではない)があり、自社の時価総額が相対的に大きい場合、自社株を提供することで相手企業を吸収し、支配権を得てその資産を合法的に取り込み(略奪)、最後はその企業自体を消滅させる(役員会で決議すれば良いだけ)ということを合法的に行えるのもこの仕組みです。価値のある不動産や銀行口座にまとまったキャッシュなどがある場合、この方式で中身を綺麗サッパリ持って行かれることが発生します。(経験者は語る・・・相手を信用するという、日本人の持つ性善説の甘さは命取りになります)

とにかく、こうして日本が叩かれるのは、日本社会に技術を生む土壌があり、世界の新しい概念を受け入れて醸成できる環境があるからです。それは日本語という言葉が支えています。世界中で発表され評価される論文の殆どは英語で書かれていますが、同じ内容を日本語に置き換えて論理展開することが出来ます。日本人の感覚で言えば当たり前のような話ですが、そもそも言語の中に存在しない物(対象や概念)をその言語で表し、その言語でそれを思考するということは簡単に出来ることではありません。

日本語ならその対象物をカタカナで表し、その意味を「大体こんな感じのもの」と定義し、日本語のコンテキストの中に入れ込んで他の文脈と一緒に思考することが簡単に出来ます。

「日本語のコンテキストの中に入れ込んで・・・」この表現そのものがその方法を表しています。もっともコンテキストを CONTEXT という英語表現そのままで使っても何の問題もありません。

つまり、日本語では世界中のどのような内容も日本語で捉え日本語で考えることが出来るのです。

ということは、物事を日本語で考え、日本語で論理展開し、日本語で応用された技術を開発し、最終的に英語化(翻訳)することで世界と戦えるのです。こんなことがいとも簡単にできる言語は日本語以外にはありません。


日本語でものを考えた場合、その背景には綿綿と蓄えられた先人の知恵が重なります。新しい概念を日本語の中に取り込み、先人の知恵と融合させて更に新しい技術や論理を生み出して行く。これが世界に例を見ない日本文化・日本技術の特徴であり、日本語という言語の仕組みがそれを支えています。

学ぶ時点では模倣であっても、概念や技術を習得した後からは独特な物が生まれているはずです。日本語にはこのような最初から備わっているアドバンテージがあるのです。

韓国企業、中国企業がかつての日本企業のように世界を席巻しています。確かに日本企業にとって、量産規模、工場立地条件から来る賃金差によるコストダウン、円高による価格上昇など、不利な条件での戦いは困難を極めます。しかし、そこで使われている技術の殆どは日本で応用展開・開発されたものでしかありません。新しく見える技術も良く調べて見れば日本企業で働く日本人技術者を高い報酬で引き抜いて得た物が多いようです。

日本人が応用展開に強いのは何にでも応用できる武器としての日本語を持っているからです。

しかし、主要な言語を英語にしてしまうと、英語に含まれていない概念を使うにはかなり高度な言語技術が必要になるでしょうし、日本語のように簡単に概念を拡張することが出来ません。これは既に英語を話している世界の限界が自らの限界になるということにも繋がります。

つまり日本語を捨てた時点でこれまでのような新しいアイデアやバランスの取れた感覚、先人の持つ知恵などを活用できる可能性が軽減されてしまいます。

また、英語圏でそのまま英語で戦うことは、性悪説が普通である世界で同じ土俵に立って、同じルールで戦わざる得ないことになります。相手を騙して略奪することを是とする世界で勝ち上がる事の出来る日本人はそれ程多く居ません。まして普段から心優しい日本人に囲まれた日本社会で生活している社員が言葉を英語に変えただけで、相手を叩きつぶして支配することが当たり前の世界で戦えるはずがないと想像します。

楽天の場合は本社機構もシンガポールなどに移転するかも知れないという話も出ているようですから、その意味ではこの辺りのことも分かっているのかも知れませんが、そうすると幹部は皆外国人に成らざる得ないでしょう。マネージメントは Job Description と Compensation によるコントロールとなり、日本人的な帰属意識は無用の世界になります。

これも余談になりますが、マネージメントそのものを国際化させるということは、採用段階から日本的な履歴書を排除して、業務経験と資格・能力に絞った Resume に変える必要があります。書類選考段階での Resume には生年月日も、性別も、写真もありません。これは年齢差別、性別差別、容姿による差別を避けるためです。採用の条件とは求める仕事内容が出来るかどうか? 唯それだけになります。ということはやってもらう作業内容が具体的に確定していなければなりません。

そして作業内容に対して報酬が決定されるという、同一作業同一賃金の世界が構成されている必要があります。誰がその作業をやっても其れに支払われる報酬は同じです。もちろん何年その作業を続けても報酬は変わりません。報酬を上げる為にはもっと高度な作業をする必要があり、社内にそういったポジションがなければ社員は他の企業の高い報酬のポジションに移動してしまいます。欧米企業での労働の流動性の高さはこれが大きな要因です。

社員は会社に帰属しているのではなく、その仕事と報酬に帰属しているという状況になりますので、日本の企業が期待するように社員が献身的に活動することも期待は出来ません。結果として残業のような形態は消滅する方向に進みます。

日本企業までも辞めるということはこういった内部の変革を行うことになるのですが、日本人社員が付いて来れるのか? どうでしょうかね? また、技術や情報を盗むスパイや「草」についても考慮しなければなりません。気が付いたら内部から MBO されるようなことが起こるかも・・知れませんね。

英語が必要な場合は英語で、スペイン語が必要な場合はスペイン語で、ドイツ語が必要な場合はドイツ語で・・・中国語が必要な場合は中国語で、それぞれ必要に応じて行うのが多様性を考慮したこれからの国際企業でしょう。そして、日本語のアドバンテージを最大限に活用して新しいサービスや製品を生みだし提供すること、更に悪い奴らの策略や戦略を見破り、決して嵌められることなく、かつ、他の参入を許さないマーケットを構成することですね。

以上、「日本企業を辞める・・」という言葉に反応した私の感想でした。
 

1 コメント:

  1. すぱらしい論評ですね。日本語を知らない日本人であるまえに、日本人のよさを失った大人が、今の若いものを教育指導できない根源が、このような間違った時代を産んだのでしょうね。中国のコピー問題にしても、もともと日本は中国の文化を学び自分なりに噛み砕き、日本のものにしたわけで、その模写という感覚は師匠が弟子に伝えていく伝統があるわけですよね・・・そのような指導もできずに文句をいっているのは、ようは貴方の指導がへたくそということと、同じですね。
    海外にいるほど 日本のよさが見えてくるのでしょうね。
    涼しいクーラーの前で知ったかぶりしていては だめですね

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